太田城

 所在地  和歌山県和歌山市太田(来迎寺・玄通寺)
 形式  平城
 主な城主  太田左近
 遺構  大門(移築)
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2020年8月15日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

大立寺(だいりゅうじ)に移築されたと伝わる大門

  ここ来迎寺は、岡山県高松城、埼玉県忍城とともに日本三大水攻めのひとつに数えられる戦国時代の太田城の本丸跡と伝えられる場所で
ある。城の範囲は、現在の来迎寺、玄通寺を中心に東西250メートル、南北200メートルで周囲に深い堀をめぐらし、東に大門をもっていたと
される。
  天正13(1585)年、豊臣秀吉の紀州攻めに際し、太田党は太田左近宗正を大将として、約5千人が太田城に立てこもり、10万余人の秀吉
軍に対して強く抵抗したため、秀吉軍は城を取り囲む総延長5〜6キロメートルにも及ぶ堤を築き、水攻めをおこなった。攻防1ヶ月、ついに左近
ら中心人物50余人の首を差し出すことを条件に他の者が助命されたとされる。
  ここから北東約50メートルには、戦いにより亡くなった者を葬った小山塚、北東約250メートルには太田城の大門があった場所とされる大門
橋、北東約700メートルには水攻めの際に秀吉軍が築いた堤跡が残っている。なお、西約1キロメートルの市内橋向丁の大立寺の山門(和歌
山市指定文化財)は、この太田城の大門を移したものと言われている。

                                                                          <現地案内板より>

太田城

INDEX

来迎寺境内に建つ城址碑

来迎寺

本丸跡に建つ来迎寺(らいこうじ)

 概説