緒川城
所在地 | 愛知県知多郡東浦町緒川古城 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 水野忠政 |
遺構 | 土塁 |
指定・選定 | 町指定史跡 |
訪城年月日 | 2016年11月21日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
水野家3代の墓の説明板
城跡に隣接する児童公園に建つ「傳通院於大出生地」の碑
〜徳川家康の生母である於大の方(晩年は傳通院)は
緒川城主水野忠政の娘で、この城で生まれた〜
わずかに残る主郭部の土塁
説明板にある緒川城位置推定図
緒川城
初代緒川城主水野貞守が文明年間(1469〜1486年)に築城して以来、約130年間水野氏の居城でした。慶長11年(1606)、最後の緒川城主水野分長が三河国新城1万石に移封となり、緒川城は廃城となりました。
緒川城は、海岸沿いの平地を裾野にもつ低い山の中腹に築かれ、城下町と一体となった平山城でした。城跡の周囲は、三方が山地形で、
東側は急な崖になっています。緒川城に関する史料として、江戸時代初期に描かれた「緒川村古城絵図」(名古屋市蓬左文庫所蔵)があります。絵図には、土塁(土を積み上げて築いた城壁)と堀に囲まれた大小の曲輪(郭)が描かれています。中央から南の一段と大きい曲輪が城の中核をなす主曲輪で、東西83m・南北95mほどの方形状です。北の曲輪群は家臣の屋敷地で、その一画は、分長の時代に居城とされ
「高藪城」と呼ばれました。
今この地域は住宅地になっており、土塁の一部が残るのみとなっています。字名は古城・羽城・屋敷三区に相当します。
<現地案内板より>
城跡西方にある於大公園には水野家3代の墓がある
初代貞守(中央)、2代賢正(左)、3代清忠(右)