小谷城

 所在地  滋賀県長浜市湖北町伊部
 形式  山城
 主な城主  浅井亮政・久政・長政
 遺構  曲輪・石垣・空堀・土塁・池
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日   @1999年11月21日
 A2012年4月18日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  城跡まで行ける車道があるが、冬季以外は
 シャトルバス専用道路となっている

山王丸東下の大石垣

刀洗池(中丸上段)

本丸石垣

            城跡からの眺望
〜正面に見える虎御前山には、織田信長が付け城として
築いた虎御前山城があった〜

山王丸跡

               山王丸跡
〜山王権現(現小谷神社)が祀られていた場所で小谷城の詰めの丸であった〜

山王丸虎口

            京極丸跡
〜浅井亮政が旧主京極氏を幽閉していた場所〜

                中丸跡
〜大堀切の北側にあり、三段から成る本丸よりも広い曲輪
である〜

       大広間跡
〜城内で最も広い曲輪である〜

本丸跡(上段)

大広間説明板(拡大可)

       黒金門跡
〜ここから大広間→本丸へと続く〜

浅井長政自刃の地(赤尾屋敷跡)

重臣赤尾清綱の屋敷跡(本丸東下)

浅井氏及び家臣の供養塔(桜馬場)

             登山口
〜車道があるがシャトルバス以外は通行できない〜

馬洗池

               金吾丸跡
〜六角高頼が小谷城を攻めた時、朝倉金吾教景(宗滴)がここに布陣した〜

番所跡手前にある縄張図

小谷城

  小谷城は戦国乱世の大永4年(1524)浅井亮政が京極氏より自立して築城してから、久政を経て、三代長政が織田信長に抗して敗れる天正
元年(1573)までの50年間浅井氏が根據としたところであり六角氏との戦や姉川の戦にもこの城から多くの将士が勇躍して出陣したのである。
  また、この城は信長の妹お市の方の住した所でありその子淀君や徳川秀忠夫人らの誕生の地でもあってひとしお旅情をそそるものがあろう。
小谷城は北国街道、中山道、北国脇往還の交通の要衝にあり、湖上交通を利用すればはるか湖南湖西京都へと通ずる地の利を占める上に
江北三郡を一望におさめ得る要所である。城は典型的な山城であり、下より尾根上に出丸、金吾丸、番所、御茶屋、御馬屋、馬洗池、桜馬場、
黒金御門、大広間、本丸、中ノ丸、刀洗池、京極丸、小丸と続き、海抜395メートルの山王丸を頂とする。山腹には赤尾屋敷、御局屋敷、大野
木屋敷を始め、削平地、竪堀等遺構は全山を埋めている。更に主峰大嶽、六坊を始め要所には遺構が散在し清水谷には根小屋跡があって、
武将たちの屋敷跡が歴然としており、これより続く城跡西方の平坦地は城下町であった。落城後木下藤吉郎秀吉によって城楼、城下町、寺院等
が今浜(現長浜)に移され今は空しく松籟のみが、昔の悲劇を物語っている。

                                                                          <現地案内板より>

INDEX

             浅井三代の墓
〜左から長政、亮政、久政と並ぶ。場所は長浜市平方町の
徳勝寺にある〜

      本丸石垣
〜石垣の上が本丸である〜

大広間跡にある池跡

        城跡のある小谷山(標高495m)
〜日本屈指の大規模な山城であり、日本五大山城の一つに
数えられる〜

                 六坊跡
〜久政は軍務や政務を司っていた6つの寺院をここに集めた〜

山王丸下の石垣

小丸跡

京極丸跡

京極丸虎口

中丸石垣

御局屋敷説明板(拡大可)

   御局屋敷跡(本丸西下)
〜ここにお市の方の屋敷が?〜

本丸跡(下段)

山王丸石垣

桜馬場

御馬屋跡

御茶屋跡

番所跡

 概説

                小丸跡
〜浅井久政の隠居所があり、久政はこの場所で自刃した〜

小丸虎口

中丸上段虎口

本丸と中丸を区切る大堀切

本丸と中丸を区切る大堀切