韮山城

 所在地  静岡県伊豆の国市韮山韮山
 形式  平山城
 主な城主  北条早雲・北条氏規・内藤信成
 遺構  曲輪・土塁・堀切・土橋
 指定・選定  なし
 訪城年月日   2020年11月12日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  不可

       願成就院(伊豆の国市寺家)
〜鎌倉時代初期に北条時政によって創建された〜

       塩蔵跡
〜土塁が明瞭に残っている〜

足利茶々丸の墓

    堀越公方・足利茶々丸の墓(願成就院)
〜明応2年(1493)、伊豆に攻め入って来た北条早雲
によって滅ぼされた〜

平時の居館であった「御屋敷」跡には韮山高校が建っている

二の丸跡

登城口(城池北側)

    権現曲輪
〜熊野神社が建つ〜

韮山城

  明応2年(1493)、伊豆に侵攻した北条早雲(伊勢新九郎盛時)によって本格的に築城され、およそ100年にわたって存続した中世城郭。
早雲は、韮山城を本拠地として伊豆から関東地方へ進出し、戦国大名北条氏の基礎を築いた。永正16年(1519)早雲が没したのも韮山城
である。
  北条氏の本拠地が小田原に移った後も、韮山城は領国支配と防衛の重要拠点であった。天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原攻め
の際、4万を超える軍勢に包囲されたが、約3か月にわたって持ちこたえ、小田原城と前後して開城した。その後、徳川家康の家臣内藤信成
が城主となり、慶長6年(1601)信成の駿府転封とともに廃城となった。
  韮山城は通称「龍城山」に所在し、本丸・二の丸などの曲輪や、土塁、堀などが良好な状態で残存している。平時の居館などがあったと思わ
れる平地部分には「御座敷」の字名が残る(現県立韮山高校校地)。また、周辺には本城を囲むように「土手和田砦」、「和田島砦」、「天ヶ岳
砦」、「江川砦」があり、現在でも曲輪や土塁などの遺構が確認できる。
                                                      
                   <現地案内板より>

登城道

INDEX

願成就院には北条時政の墓もある

城跡遠望(西側より)

本丸南側にある塩蔵跡

本丸遠望(南側より)

本丸跡からの眺望

本丸跡

本丸と二の丸の間の堀切

      登城口手前の城池
〜古城図にも「沼」として描かれている〜

登城口案内板に描かれている古城図

二の丸を囲む土塁

二の丸と権現曲輪の間の堀切

権現曲輪土塁

             熊野神社
〜明応9年(1500)、北条早雲が韮山城の守護神
として創建した〜

権現曲輪

           三の丸跡
〜県立韮山高校のテニスコートになっている〜

登城道

      登城道
〜堀切の間を通って進む〜

 概説

本丸虎口

二の丸虎口と土橋

       本丸跡
〜東側に土塁が残っている〜