長岩城

 所在地  大分県中津市耶馬渓町川原口
 形式  山城
 主な城主  野仲鎮兼(しげかね)
 遺構  石垣・曲輪・竪堀・堀切
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日   2019年4月11日
 満足度   B C D E
 登城難易度   B C D E
 車での登城  不可

本丸と西之台の間にある一文字堀虎口

本丸から西之台方向に下った所にある堀切

登り石垣を上から見下ろす

登り石垣は竪堀に沿って築かれている

            登山道
〜登山道は石だらけで歩きにくく、滑りやすい。
登山よりも下山の方が大変(危険)であった〜

      登城口
〜本丸まで650mとある〜

西之台石塁

西之台(出城)

本丸に残る礎石

本丸説明板

いったん途切れるも再び本丸に向かって延びる登り石垣

  東之台から本丸方面にかけて築かれた登り石垣
 〜城内最長の石垣で、全長132mもあるとの事〜

  長岩城は建久9年(1198)、野仲重房によって築かれたとされる。重房は豊前守護宇都宮信房の弟で、下毛郡野仲郷を分与されて野仲氏を名乗った。以後、長岩城は22代、390年にわたって野仲氏の居城となった。天正15年(1587)、野仲鎮兼が当主の時、豊臣秀吉によって九州が平定されたが、鎮兼は豊前6郡を与えられて入国してきた黒田孝高に反抗。翌天正16年(1588)、黒田長政に攻められて落城し、野仲氏は滅亡した。

INDEX

                      長岩城遠望
〜向かって右側の山(扇山)が本丸がある山で、左側の山には石積櫓や砲座が残る〜

東之台(出城)

本丸跡

本丸石垣と腰曲輪

本丸虎口

ようやく山頂の本丸に到達

                三之城戸の登り石垣
〜かなり上の方まで続いており、先が見えない。全長は65mあるとの事〜

東之台の登り石垣(虎口)

三之城戸

二之城戸 石塁

一之城戸

登城口から登り始めると獣害防護柵があるが扉を開けて
進入できる。左に下ると「一之城戸」があり、右に上ると
本丸方面(順路)へ至る。

長岩城

二之城戸

                     二之城戸
〜見事な登り石垣である! が、この登り石垣はまだまだ序の口であった〜

三之城戸

一之城戸

 概説

尚も続く!登り石垣

長岩城縄張図(登城口案内板)