三木城

 所在地  兵庫県三木市上の丸町
 形式  平山城
 主な城主  別所長治
 遺構  曲輪・土塁・空堀・井戸
 指定・選定  なし
 訪城年月日   @1981年5月3日
 A2010年3月3日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  可(本丸付近駐車場まで)

  三木城は、室町時代の15世紀後半に別所則治によって築かれ、以後別所氏の居城となりました。天文7〜8年(1538〜1539)に山陰の戦国大名尼子詮久(晴久)、天文23年(1544)には三好長逸や三田の有馬氏に攻められましたが、落城は免れています。
  天正6年(1578)5代目城主別所長治のとき、織田信長の家臣羽柴(豊臣)秀吉の軍に包囲され、1年8ヶ月に及ぶ兵糧攻めに遭い、天正8年(1580)1月17日、城主一族は領民の命を救うために自刃して三木城を開城しました。その後は、羽柴秀吉はじめ家臣の杉原氏・中川氏などが城主として次々と入れ替わりました。江戸時代になって、元和2年(1616)小笠原忠真を領主とする明石藩に編入され、元和3年(1617)に幕府による一国一城令により廃城となりました。このとき、三木城の資材は明石城の建築部材に使用されたと伝えられています。
  当時の城の規模は、本丸(上の丸公園)、二の丸(図書館・美術館周辺)、新城・鷹ノ尾城(市役所周辺)などからなり、東播磨随一の要害でした。また南に位置する雲龍寺周辺も三木城の一角であったと考えられています。
  この雲龍寺には別所長治夫婦の首塚があり、毎年1月17日の命日には、長治公を偲んで法要がおこなわれ、兵糧攻めによる飢えから、籠城した兵士が壁土の藁を食べたという言い伝えに習って藁に見立てたうどんが振舞われます。

                                                                         <現地案内板より>

三木城

INDEX

三木合戦 羽柴秀吉 平井本陣跡(三木市平井)

竹中半兵衛の墓(三木市平井)

別所長治夫婦の首塚(雲龍寺)

城址遠望(手前は美嚢川)

本丸城壁(模擬)

本丸跡にある「かんかん井戸」

本丸跡

天守跡に建つ別所長治の辞世の句を刻んだ石碑

天守跡に建つ別所長治の石像

天守跡

 概説

本丸跡にある案内図