黒井城

 所在地  兵庫県丹波市春日町黒井
 形式  山城
 主な城主  赤井直正・斎藤利三
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切
 指定・選定  国指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2001年5月26日
 満足度   B C D E
 登城難易度   B C D E
 車での登城  不可

山麓にある興禅寺(城主の居館跡)
 〜春日局の生誕地といわれる〜

東曲輪跡

    黒井城跡登城口
〜駐車場も完備されている〜

  黒井城は別名を保筑城・保月城とも呼び、猪ノ口山(標高356メートル)にある山城で、南北朝時代の建武2年(1335年)春日部荘を領した赤松筑前守貞範(則村の次男)が、はじめて山頂に城を築いたことからその歴史が始まります。
  その後、約200年間数代の城主をへて、戦国動乱さ中の天文23年(1554年)荻野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、その勢威の拡大とともに、全面的に大改修の手を加えたのが現在の黒井城跡です。
  山頂の本城部分には、荒々しい野面積みの石垣をつみ上げ、これを囲んで中腹には三段曲輪・大鼓の段・石踏の段・西の丸・東出丸などの曲輪を配して防禦を固めています。
  さらに枢要な尾筋には千丈寺・龍が鼻・的場・百間馬場などの砦跡があり、また山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切りなどの防禦施設が埋もれていて、周囲約10キロメートルにおよぶ猪ノ口山系全体が巨大な城塞となっています。
  天正7年(1579年)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。その後400年余りの間、なんら人工の手を加えられることもなく、今でも戦国時代の城のようすをそのまま残している城跡として、全国的に高い評価を受けています。

                                                                         <現地案内板より>

黒井城

INDEX

西曲輪跡

「保月城跡」と書かれている

本丸跡

本丸石垣と虎口

二の丸南側の石垣

二の丸跡

三の丸跡

 概説