小牧山城

 概説

歴史館展望室からの眺望

     山頂にある小牧市歴史館(昭和42年建設)
〜名古屋市在住の実業家、平松茂氏(故人)が私財を投じて
建設し、小牧市に寄贈した〜

 所在地  愛知県小牧市堀の内
 形式  山城
 主な城主  織田信長
 遺構  曲輪・石垣・土塁・空堀・井戸
 指定・選定  国指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日   @1983年4月
 A2014年5月23日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  不可

平成22年に発掘された主郭石垣の裏込石

曲輪跡

主郭下に残る石垣

主郭下に残る石垣

主郭下に残る石垣

主郭跡

  市街地の西に位置し、標高85・9b、総面積約21fの小牧山は、尾張平野の中に孤高する眺望の地である。永禄6年(1563)、小牧山に初めて城を築いた織田信長は、清須から居城を移し、南麓に計画的な城下町を形成した。しかし、永禄10年に美濃の斎藤氏を攻略した信長は、稲葉山城(岐阜城)へ移ったため、小牧山城は在城わずか4年で廃城となった。
  その後、本能寺の変で没した信長の後継者争いに起因する小牧・長久手の合戦では、羽柴秀吉軍に対する織田信雄・徳川家康連合軍の主陣地が置かれ、信長の城跡に大規模な改修を加え、陣城とした。
  江戸時代には、尾張徳川家の管理下で一般の入山禁止など保護がなされたため、遺構の保存状態は良好で、昭和2年には国の史跡に指定された。
  東麓にあった小牧中学校の移転に伴い、平成10年から発掘調査が始められ、織田信長の城であった当時は、堀で区画された武家屋敷が立ち並んでいたこと、小牧・長久手の合戦時には、これらの屋敷跡を一部踏襲して堀や二重の土塁で囲まれた帯曲輪を築造したほか、深い堀を配した虎口(こぐち)を設けるなど、厳重な防御がなされていたことが明らかになった。
  これらの成果をもとに、平成13年から遺構復元等の史跡整備が進められ、平成16年4月から史跡公園として公開されている。

                                                                         <現地案内板より>

小牧山城

INDEX

小牧山城遠望

          中腹にある「桜の馬場」
〜往時には馬場があったとされるが、現在は桜の名所
となっている〜

空堀跡

曲輪跡

中腹の「桜の馬場」にある小牧山案内図