こ が わ

小川城

 所在地  静岡県焼津市西小川
 形式  平城
 主な城主  長谷川氏
 遺構  なし
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2017年5月11日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

    石碑と案内板は西小川5丁目の歩道上にある
~今川義忠の死後、家督争いが起こった際に、義忠の正室
北川殿(北条早雲の姉または妹)と義忠の子竜王丸(のちの
氏親)が一時この城に身を寄せたという~

  焼津市西小川3~6丁目付近は、古くから「法永長者屋敷跡」と言い伝えられてきました。
  「法永長者」とは、今川氏歴代の年代記「今川記」に出てくる「駿州山西の小河の法永」のことで、今川義忠(1436~1476)が急死し、今川氏の相続争いが生じた時に、伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)を介し、義忠の正妻北川殿と義忠との子竜王丸(後の今川氏親・1473~1526)を保護した人物です。その後法永の子孫(長谷川氏)は今川の家臣となり、今川氏滅亡後は徳川氏に仕えたと伝えられています。
  昭和54年(1979)からの、小川地区遺跡群の発掘調査により、屋敷の周囲に堀をもつ本格的な中世屋敷跡が見つかりました。調査の結果、屋敷跡の周囲にも多くの建物跡が広がり、下層には古墳時代や平安時代の遺構もあることがわかりました。現在は遺跡全体を「小川城遺跡」と呼んでいます。
  屋敷の周囲には長大で複雑な堀を巡らしており、単なる屋敷ではなく、戦闘に対する防御機能を備えた城郭的構造になっています。素堀りの堀は幅が15~16m、深さが1~2.6mあります。また、この堀の内側や外側の一部にも、細い堀が巡っていて、堀の形態が変化していたことを知ることが出来ます。
  屋敷内部は、長辺150m、短辺90mで約13,500㎡の広さがあり、堀(溝)によって、三つに区画され、母屋・倉庫などの建物が整然と配置されています。屋敷の周囲からも多数の建物跡や、井戸があり、屋敷からは国産の陶器や中国産の輸入陶磁器、漆器や曲物などの木製の生活用品、刀・釣針・古銭などの金属製品、斎串・呪符・人形・舟形というような呪術資料などが豊富に出土し、往時の繁栄がしのばれます。これらのことから、当地が物流の拠点としての小河湊を背景に、室町時代の大井川平野の中心地として賑わっていたことがうかがえます。
  この小川城遺跡の出土品は、焼津市歴史民俗資料館に展示・保管されています。
                                                      
                    <現地案内板より>

小川城

INDEX

発掘調査の写真(現地案内板)

現地案内板に描かれている城跡(屋敷跡)予想図

 概説