高知城

二ノ丸石垣

天守最上階

 所在地  高知県高知市丸ノ内
 形式  平山城
 主な城主  山内一豊・豊信(容堂)
 遺構   天守閣・本丸御殿・追手門・詰門・黒鉄門・
 塀・石垣・堀
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日   @1981年7月
 A1994年5月14日
 B2013年4月12日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A B C  E

内堀

太鼓丸跡

御台所屋敷跡

大河ドラマ「功名が辻」 千代役 仲間由紀恵 着用
         (本丸御殿内展示)

二ノ丸から見た詰門と天守

三ノ丸石垣と横矢掛り

山内一豊の妻・千代の銅像(杉ノ段)

土佐藩士・板垣退助の銅像(追手門付近)

追手門(現存、重文)

追手門付近にある案内板

  高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて南朝方に味方して戦った記録がある。
  戦国時代の天正16年(1588)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城して、岡豊城(南国市)から移ったが、城下が低湿地のため水難に悩まされ、3年ほどで浦戸に移った。期間が短く、その規模や構造は明らかでない。
  現在の城郭は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功績を認められて、土佐の初代藩主となった山内一豊によって慶長6年から築城され、2年後主要部分が完成したが、全体の完成には10年を要した。享保12年(1727)追手門など一部を残して焼失、宝暦3年(1753)元の姿に再建された。
  明治6年(1873)いちはやく都市公園としての整備が進められて廃城を免れ、追手門と本丸の全構造物を残して県立の公園として発足した。
  全国に残る12の旧城の一つで、築城当時の複雑巧妙な縄張りを残す石垣、豪壮な木割りの追手門、規模は小さいながら優美な姿を誇り、南海道随一の名城とうたわれた天守閣、それに付属する本丸御殿をはじめとして、本丸の全建造物が完全な姿で残されているのは、全国でも高知城だけである。
  昭和9年(1934)国宝に指定されたが、昭和25年(1950)に文化財保護法が制定されたことに伴い、現在は15棟の建造物が重要文化財に指定されている。また、昭和34年(1959)城跡一帯が史跡に指定された。戦後は、各建造物の解体修理に着手、追手門は昭和26年(1951)に、天守閣は同30年、その他の建造物は34年3月にそれぞれ改修竣工した。
  「高知公園(高知城)の土地は、財務省から無償で借り受けて、高知県が運営しています。」

                                                                          <現地案内板より>

高知城

INDEX

二ノ丸虎口から見た天守

三ノ丸から見た天守

杉ノ段から見た天守

         二ノ丸跡
〜藩主の暮らす二ノ丸御殿があった〜

本丸と二ノ丸を繋ぐ詰門(現存、重文)

発掘された長宗我部元親時代の石垣(三ノ丸)

追手門、後方に天守閣

追手口に建つ初代藩主・山内一豊の銅像

 概説

本丸御殿上段ノ間

本丸黒鉄門(現存、重文)

天守と本丸御殿(どちらも現存、重文)

               三ノ丸跡
〜かつて三ノ丸には三ノ丸御殿があり、年中行事や儀式が
行われていた〜

      鉄門跡
〜ここを抜けると三ノ丸へ〜