岸和田城

 概説

天守と小天守

天守と小天守(昭和29年復興)

 所在地  大阪府岸和田市岸城町
 形式  平城
 主な城主  小出秀政・松平康重・岡部宣勝
 遺構  石垣・堀
 指定・選定  府指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2004年5月8日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 

  伝承では、建武新政期に楠木正成の一族和田高家が築いたといわれています。天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。
  小出秀政・吉政・吉英、松平(松井)康重・康映をへて寛永17(1640)年、岡部宣勝が入城(6万石、のち5万3千石)、以後明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。

  天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊したため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。

  現天守閣は昭和29年建造された3層3階の模擬天守。本来は5層天守であったことが絵図などで確認されています。城跡は昭和18年府指定史跡。

                                                                         <岸和田市HPより>

岸和田城

INDEX

二の丸多聞櫓(平成4年復興)
〜中はトイレになっている〜

本丸・天守へ続く櫓門(昭和44年復興)

多聞櫓・隅櫓(昭和44年復興)

    天守(南東より)
〜石垣の下に犬走りがある〜