か ん き

神吉城

 所在地  兵庫県加古川市東神吉町神吉(常楽寺)
 形式  平城
 主な城主  赤松範次・神吉頼定
 遺構  なし
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2014年12月28日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

常楽寺裏手の墓地にある神吉頼定の墓

神吉城

INDEX

本丸に相当する中の丸跡には現在常楽寺が建っている。
神吉城は中の丸・東の丸・西の丸・二の丸の4つの曲輪で
構成されていたという。

  浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。ここはもともと神吉城があったところで、神吉城主・神吉民部大輔頼定は、天正6年 (1578)の羽柴秀吉の播磨攻めの時、約3万の大軍の包囲に対して、わずか千名ほどの城兵で果敢に抵抗し、何度も攻撃を撃退したと伝えられています。しかし、度重なる攻撃に頼定をはじめとする城兵は討死し、ついに落城しました。一説には黒田官兵衛の養女が頼定の奥方といわれており、常楽寺の裏手には、勇猛を誇った頼定の墓があります。また春のお花見の頃には、見事なしだれ桜が、参拝者の目を楽しませてくれます。
                                                                     <現地常楽寺案内板より>

 概説