感状山城

感状山城

INDEX
 概説

帯曲輪

最高所にあるT曲輪(主郭跡)

南曲輪群からの眺望

南曲輪群

 所在地  兵庫県相生市矢野町森
 形式  山城
 主な城主  赤松則祐
 遺構  曲輪・石垣・井戸
 指定・選定  国指定史跡
 訪城年月日  2009年11月20日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

北曲輪群

大手門跡

感状山城は、瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に、瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられています。その後、南北朝・室町期になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武3年(1336)には、新田義貞軍の進攻に対し、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐が、この城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えられ、感状山城とよばれるようになったと伝えられています。城郭の構成は、連郭式・階郭式の縄張で、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されています。
                                                                        <現地案内板より>

感状山城跡遠望

T曲輪

北U曲輪

北U曲輪石垣

南U曲輪

出曲輪石垣

出曲輪

物見岩

V曲輪

倉庫跡

大手門付近にある井戸跡

        登山口
〜城跡まであと550mとある〜