かなつるべ

金鑵城

 所在地  兵庫県小野市昭和町(夢の森公園)
 形式  山城
 主な城主  中村氏
 遺構  曲輪・土塁・堀切
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2020年1月12日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  可

          主郭東側にある櫓台
 〜物見櫓が建てられているが登ることはできない〜

配置図(主郭跡設置案内板)

主郭跡から青野ヶ原を望む

主郭跡

  当城は、青野ヶ原台地上の遠望がきく、要害の地を選んで築かれた山城です。ここからは、河合城、堀井城、小堀城など室町時代から戦国
時代にかけて市内に築かれた中世城郭を見渡すことができます。城主は、播磨を治めていた赤松氏の有力な家臣中村氏とされ、後に三木城
の別所氏の持城となっています。
  台地先端部に「主郭」と「西の郭」があり、その間には幅約20m、深さ9mの堀切が掘られ、木橋がゆいいつの通路となっていました。主郭
は、東西50m、南北80mの規模で、周囲には、土塁と呼ばれる土の壁がめぐらされていました。北西部に土塁が途切れるところがあり、城内
への入口、虎口と考えられています。そこから城内に入ると礎石建物(建物跡1〜3)、倉庫施設、煮炊き施設、集石遺構などがありました。
また、北東隅部からのびる尾根の先端部には、見張りのための櫓が設けられていました。
  城内からは、甕(かめ)、壷、擂鉢(すりばち)などの陶器、茶碗などの磁器、茶臼などの石製品、土錘などの漁労具、刀、鞘(さや)、笄(こう
がい)などの武具類、瓦、釘、壁などの建築資材、硯(すずり)、水滴など文具類や銅銭など多様な遺物が出土し、当城が長期間にわたり武士
達の生活と防御の場になっていたことがわかります。

                                                                         <現地案内板より>

金鑵城

INDEX

西の郭

主郭を取り巻く土塁

主郭跡

木橋から主郭跡を望む

堀底から木橋を見上げる

主郭と西の郭を繋ぐ木橋

主郭と西の郭を区切る堀切

主郭と西の郭を区切る堀切

復元イメージ図(主郭跡設置案内板)

 概説

井戸内

復元井戸(主郭)

主郭虎口と模擬門