かみのやま

上山城

 所在地  山形県上山市元城内
 形式  平山城
 主な城主  武衛義忠・里見民部・土岐頼行・松平信通
 遺構  曲輪・石垣・堀・土塁
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日   2022年5月11日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  

本丸跡に設置されている上山城の説明板(拡大可)

本丸南東隅櫓跡

櫓台?(本丸東端)

         本丸東門跡
〜形状は櫓門? 両脇に土塁が残る〜

          本丸跡に建つ月岡神社
〜藤井松平利長(藤井松平家初代)と信一(2代目)を祭神
とする。上山藩主となったのは7代目の信通からである〜

              本丸跡
土岐氏時代(1628〜1691)には本丸御殿や三重櫓
(天守?)が建つなど城の中枢部であった。

本丸南門跡

二の丸跡(月岡公園)

模擬天守

模擬天守

              二の丸跡
〜土岐氏が転封した後に城は破却され、以後の藩主は
二の丸に館を構えて政務を行ったとされる〜

         二の丸跡に建つ模擬天守
〜本来、天守のあった(天守の有無は不詳)本丸跡ではなく、
二の丸跡に再建された〜

  上山城は、室町時代の応永年間初期(1400年前後)に、羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、上山殿と称し
虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡城とも言われていた。
  永正11年(1514)には、伊達稙宗に攻略され、翌年和睦し返還、5年後に再び攻略されたが、天文4年(1535)満長の子孫武衛義忠が
挙兵して奪還した。
  同年高楯城を廃して、新たにこの地天神森に平山城を築き、月岡城とも称した。
  その後、城主は武衛氏3代、里見氏、元和8年(1622)最上氏改易後、能見松平氏、蒲生氏等を経て、土岐氏2代が領した17世紀の後期
には、城郭として最も整備され、白壁の城壁をめぐらし、後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、小藩(2万5000石)ながら奥羽の
名城と称されていたと伝えられている。
  しかし、元禄5年(1692)土岐氏が転封直後、幕府の命により跡形もなく破壊された。以来、上山藩は金森氏、藤井松平氏(3万石)10代の
治領下で170余年間、代々城の再建が宿願であったが、明治維新まで一部を修復するに止まり、再築されることは無かった。
  周囲の堀も、明治5年に埋め立てられ、城の西側に僅かに内堀の名残を留めている。
  現在の上山城は、昭和57年に旧二の丸跡に城郭風の郷土資料館として建設したものである。
                                                                         <現地案内板より>

上山城

INDEX

切通し(二の丸堀跡?)

二の丸跡(月岡公園)

 概説