犬居城

山頂の本曲輪

犬居城

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東曲輪直下の三ヶ月堀

東曲輪直下の三ヶ月堀

馬出し状の東曲輪

物見曲輪西側にある堀切

犬居城説明板(展望台1階)

展望台内部(2階)

標識には城跡まで0.6km、25分と書かれているが、
私は14分で到達した

 所在地  静岡県浜松市天竜区春野町堀之内
 形式  山城
 主な城主  天野景貫
 遺構  曲輪・空堀・堀切
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日   2020年5月21日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

  犬居城は領主・天野氏の居城だったもので、行者山(標高250m)の頂き東西600m、南北650mに広がる中世城館跡は、静岡県史跡に
指定されている貴重な文化財です。断崖絶壁の南側に対し比較的なだらかで攻撃を受けやすい北側と西側には物見曲輪・本曲輪・東曲輪など
が配置され、現在も空堀や堀切等の遺構が確認できます。

居城主・天野氏
  居城主である天野氏は、承久の乱(1221年)の後、山香庄に地頭として入り北遠地方を代表する在地領主となりました。鎌倉時代には幕府
の御家人として活躍しましたが、南北朝時代には一族が北朝・南朝と分裂し争うようになります。後に北朝方一族が勢力を大きくし、室町時代
から戦国時代にかけて国人領主に成長しました。
戦国時代には今川義元の忠実な家臣として北遠の要に位置づけられていましたが、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで義元が討たれた後、
徳川家康の遠江侵攻が本格的に始まり、徳川に属することとなりました。しかし、領国美濃の武田信玄による圧力と巧みな勧降工作により
信玄に寝返ってしまいます。これに激怒した徳川は犬居城を攻撃、1度は徳川軍を後退させた天野氏でしたが、2度目は守りきれず甲斐に
落ち、北遠の地に戻ってくることはありませんでした。
                                                                         <現地案内板より>

本曲輪

        犬居城遠望
~気田川畔の行者山山頂にあった~

         展望台からの眺望
~県立天竜高校春野校舎や気田川が見える~

本曲輪西側にある物見曲輪
 ~展望台が建っている~

登山口(左側)

   登山口に向かうルートの入口
~車で走っていると見落としやすい~

       城跡までのルート(本曲輪案内板より)
~国道362号線の上に架かる橋を通るのがポイントである~

犬居城縄張図(物見曲輪案内板より)

 概説

           二の曲輪
~整備がされておらず立入りが困難である~

物見曲輪