彦根城

彦根城

INDEX
 所在地  滋賀県彦根市金亀町
 形式  平山城
 主な城主  井伊直継・直孝・直弼
 遺構   天守閣・太鼓門櫓・天秤櫓・西の丸三重櫓・
 二の丸佐和口多聞櫓・馬屋・石垣・堀 他
 指定・選定  国指定特別史跡・日本100名城
 訪城年月日   @1999年11月21日
 A2008年10月12日
 B2013年4月4日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A B C  E

                玄宮園より天守閣を望む
〜玄宮園は4代藩主・井伊直興が造営した庭園で、国の名勝に指定されている〜

第15代藩主・井伊直弼の像

二の丸佐和口枡形

大手門橋

        表御殿(昭和62年復元)
〜ここで藩主が政務を行い日常生活を送っていた。
現在、中は博物館になっている〜

出郭

西の丸と出郭(でくるわ)を区切る大堀切

西の丸

                鐘の丸
〜築城当時、ここに時報鐘が置かれていたため鐘の丸と呼
ばれる。しかし、鐘の音が城下北隅まで届かなかったため、
鐘は太鼓門櫓外(現在地)に移された。鐘の丸には大広間
御殿と御守殿の2つの建物があった〜

          天秤櫓(現存、重文)
〜天秤のような形をしていることから天秤櫓と呼ばれる〜

廊下橋

天守閣

現存天守閣(国宝)

  この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)上野の国高崎城から佐和山城へ移ってきた。
  その後、直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死、慶長8年(1603年)その子直継が父直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手した。時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25ku(75,800余坪)周囲約4km(1里)高さ約50bの彦根山に築城した平山城である。
  昭和26年(1951年)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓・佐和口多聞櫓を重要文化財に指定され、さらに同27年
(1952年)には天守を国宝に、同31年(1956年)には彦根城一帯を特別史跡に、同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。また、新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。

                                                                         <現地案内板より>

二の丸佐和口多聞櫓(現存、重文)

内堀

出郭から西の丸方面を望む

西の丸虎口

西の丸三重櫓(現存、重文)

           太鼓門櫓(現存、重文)
〜ここに太鼓を置いて城中に合図をしたことから太鼓門櫓と
呼ばれる〜

      本丸跡にある着見台(つきみだい)
〜かつてはここに月見櫓という二重の櫓が建っていた。
現在は展望台となっている〜

               本丸跡
〜慶長期にはここに藩主の居館である御広間(おんひろま)
が建っていた。元和期に入り、山麓に表御殿ができると居館
はそちらへと移った〜

 概説

大手枡形

    太鼓丸と鐘の丸との間に架かる廊下橋
〜戦時にはこの橋を落とし、敵の侵入が防げるように
なっていた〜

大手門跡にある案内図