八王子城

 所在地  東京都八王子市元八王子町
 形式  山城
 主な城主  北条氏照
 遺構  曲輪・石垣・堀切・土塁・井戸
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日  2013年10月28日
 満足度  A  C D E
 登城難易度   B C D E
 車での登城  不可

               詰の城
〜石碑には「天守閣跡」と記されているが、実際は物見台
程度のものであったのでは?〜

本丸から詰の城に向かう途中にある大堀切

           本丸跡
〜城代・横地吉信が守備したといわれる〜

御主殿虎口の石垣群

御主殿虎口の石垣群(復元)

          御主殿跡から見た曳橋
〜実際には右手前の柵の部分にかけて架けられていた〜

大手道から御主殿に渡る曳橋(ひきばし)

大手門跡

大手道に復元された木橋と竪堀

山麓の管理棟前にある案内図

  八王子城は、北条氏照によって築城された山城です。氏照は当初、多摩川と秋川の合流地点にある滝山城(八王子市・国史跡)を居城としていました。その支配地は八王子はもとより、北は五日市・青梅・飯能・所沢の一帯、南は相模原・大和から横浜の一部にまで及んでいました。
  氏照が居城を滝山城から八王子城に移した動機は、永禄12年(1569年)武田信玄が滝山城を攻撃し、落城寸前にまで攻められたことから、強固で広大な八王子城の築城を思い立たせたといわれています。
  築城の時期は明確ではありませんが、元亀から天正初め(1570年代)に築城が開始され、天正年間の中頃に氏照が八王子城に移ったと考えられています。天正16年(1588年)には、豊臣秀吉の来攻に備え、兵糧の確保や兵士とその妻子の入城を命じ、守備固めの準備を急いでいます。
  天正18年6月23日、小田原在城の城主氏照を欠いたまま、豊臣秀吉の小田原攻めの一隊前田利家・上杉景勝などの軍勢の猛攻を受け、一日で落城しました。八王子城の落城は、小田原城の開城をうながし、豊臣秀吉が天下を統一する上に、大きな影響を与えました。

                                                                         <現地案内板より>

八王子城

INDEX

詰の城の石垣は至る所で崩れ落ちている

かろうじて残る詰の城の石垣

          松木曲輪
〜中山家範が守備した曲輪といわれる〜

山上からの眺望

       本丸下にある八王子神社
〜城の守護神「八王子権現」が祀られている〜

    城跡の東方にある北条氏照の墓(中央)
両脇には家臣・中山家範とその孫・信治の墓もある

          金子丸跡
〜金子家重が守備した曲輪といわれる〜

           御主殿の滝(城山川)
〜落城時に北条方の武将や婦女子が自刃し身を投げたと
伝えられる〜

御主殿背後の城山に登る登山口

御主殿跡の礎石建物跡

        御主殿跡(北条氏照の館跡)
〜落城後は徳川氏の直轄領、明治以降は国有林であった
ため、落城当時の状態のまま遺構が残っていた〜

御主殿に続く石段

登城口(右奥の建物は城跡管理棟)

 概説

   本丸跡
〜意外に狭い〜

          小宮曲輪
〜狩野一庵が守備した曲輪といわれる〜

      御主殿跡
〜冠木門が復元されている〜

曳橋と直下の石垣