八幡山城

  天正13年(1585年)に羽柴秀次によって、この八幡山(鶴翼山)に八幡山城が築かれました。八幡山城は山頂の城郭と南山麓の屋敷群に分かれており、赤線で表した大手道は、秀次館跡の出入り口から家臣屋敷群のほぼ中央を直線的に走っています。大手道の両側には雛段状の家臣団屋敷群跡が広がっています。また、その屋敷群を囲む尾根には、石垣を伴った曲輪と呼ばれる遺構が残っています。この曲輪と築城時に開削されたと伝わる八幡堀が城の総構えを形成していたと考えられます。
  天正18年(1590年)に、秀次が尾張清洲に移った後は、京極高次が代わって城主となります。その5年後、秀次が謀反の疑いをかけられて高野山で自刃させられた文禄4年(1595年)には京都の聚楽第と同様に八幡山城は廃城されました。

                                                                  <現地(秀次館跡)案内板より>

INDEX

北の丸跡

西の丸跡

本丸下の石垣

本丸虎口付近の石垣

本丸虎口

 所在地  滋賀県近江八幡市宮内町
 形式  山城
 主な城主  豊臣秀次
 遺構  曲輪・石垣・空堀
 指定・選定  続日本100名城
 訪城年月日  2015年10月11日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  不可(ロープウェーあり)

二の丸跡からの眺望

二の丸跡に建つ展望館

本丸下の石垣

        本丸跡に建つ村雲門跡瑞龍寺
〜豊臣秀次の母・日秀尼が開基で、昭和38年、京都から
この地に移転した〜

山頂のロープウェイ乗り場にある案内図

八幡山城

 概説