郡上八幡城
所在地 | 岐阜県郡上市八幡町柳町 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 遠藤盛数・慶隆 |
遺構 | 石垣・曲輪 |
指定・選定 | 県指定史跡・続日本100名城 |
訪城年月日 | 2011年9月24日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(山頂駐車場まで) |
山麓にある大手門跡
山の中腹にある山内一豊と妻千代の像
〜千代は城主・遠藤盛数の娘との説がある〜
天守から郡上八幡の街を見下ろす(川は吉田川)
松の丸石垣
松の丸にある隅櫓
正面から見た模擬天守(昭和8年建造)
模擬天守(左)と桜の丸にある模擬隅櫓(右)
郡上八幡城
永禄2年(1559)遠藤盛数が東殿山(市街地南方)の東家を滅し八幡城を築いたのがこの城の創始である。後、秀吉が天下を統一し、領地2万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天守台等を設けた。やがて関ヶ原合戦が起ると遠藤慶隆は家康に味方し、慶長5年(1600)再び遠藤氏が城主となった。
元禄5年(1692)遠藤氏後嗣なく没収せられ常陸より井上正住が城主(4万石)となって来封したが間もなく同11年金森頼百がこれに代って封せられた。宝暦8年金森頼錦の晩年になって失政のため農民困窮甚しくついに金森騒動宝暦義民の一揆が起り、そのため一家は断絶され、同年丹後国宮津の城主青山幸道が代って郡上藩主となり八幡城下4万8千石を領することになった。その後藩政よく治ってその後明治維新によって廃城となり、昭和8年旧跡に模擬天守閣が作られたのである。
<現地案内板より>
駐車場傍にある案内図
桜の丸隅櫓と石垣
天守曲輪の模擬門