越中守山城

 所在地  富山県高岡市東海老坂
 形式  山城
 主な城主  神保氏張・前田利長
 遺構  曲輪・石垣
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日  2025年5月13日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  可(本丸跡まで)

本丸切岸

本丸下の腰曲輪

本丸下の腰曲輪

本丸下の腰曲輪

   本丸から腰曲輪へ降りる階段
~後世に造られた階段かと思われる~

本丸切岸

本丸跡

本丸跡

山頂の駐車場

守山城はまた、二上城、海老坂城、ともいい城山袴腰(標高259米)と呼んでいます。この地はその本丸城跡地であります。
越中平野を一望に見下ろし、山高く道険しく前方は小矢部川、後方は氷見の湖水にはさまれた国中随一の要害であり、築城時期は明らかでは
ありませんが「南北朝末期(1371年)に南党の桃井直常が石動山天平寺の衆徒としめし合わせて、越中守護斯波義将の本城守山を攻め落し
た」と歴史の中でいわれていますのでその創設は相当古いものと思われます。
後に神保氏張や佐々成政が在城したが天正13年(1585年)前田軍が攻め落し、秀吉から賞賜されて前田利長の居城となりました。
慶長2年(1597年)利長は富山に城を築いてここを去り、以後前田対馬守長種が居守いたしましたが城下の寺院や商工業者は続々富山に
引き移り、守山城や城下町は急速に寂れていったといわれています。
現在城郭の全貌は明らかではありませんが、空濠・石垣・通路などが部分的に残っているほか、重臣たちの邸跡も地名に名残りを留めており
ます。
                                                                         <現地案内板より>

越中守山城

INDEX

本丸跡からの眺望(川は小矢部川)

本丸跡からの眺望

本丸跡に建つ観音像

 概説

二の丸跡

本丸下の腰曲輪

城山公園(本丸跡)入口

      守山城跡のある城山(中央の山)
~城跡のある山頂までは車で上がることができる~