赤穂城
所在地 | 兵庫県赤穂市上仮屋 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 池田政綱・浅野長直・浅野長矩・森長直 |
遺構 | 石垣・堀 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2015年2月28日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
天守台上から見た本丸全貌
天守台上
〜5層の天守が建てられる予定であったが、財政難による
ものか建てられなかった〜
本丸門(平成8年再建)
〜本丸門は外側に高麗門、内側に櫓門がある枡形構造
となっている〜
二之丸門跡
〜この場所に二之丸に通じる櫓門があった〜
本丸庭園
本丸庭園(平成2年復元、国の名勝に指定されている)
三之丸にある大石良雄宅長屋門(国指定史跡)
三之丸にある大石神社
〜大正元年(1912)創建。大石良雄ら赤穂浪士を祀っている〜
二之丸外堀
塩屋口にある西隅櫓台
〜台上には二重櫓が建っていた〜
三之丸塩屋門跡
大石神社に建つ大石良雄の像
三之丸にある近藤源八宅長屋門
二之丸門跡付近にある縄張図
赤穂城は、正保2年(1645年)に浅野内匠頭長矩の祖父長直が、常陸国笠間から入封し、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、実に13年に亘る歳月を費し、寛文元年(1661年)に完成したものである。
城郭の縄張りは甲州流軍学によるもので、本丸と二之丸は輪郭式、二之丸と三之丸の関係は梯郭式になって、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城である。城郭の規模は、10の隅櫓、12の諸門があり、石塁の延長は約2845メートル、面積は14万6922平方メートルに及んでいる。塁石、防壁、諸門、本丸御殿がととのえられ、居城としての偉容が示されたが、天守台のみ築かれて天守閣は構築されなかった。
築城当初から城内に大石邸をはじめ藩重臣の屋敷があったが、浅野家断絶後は永井家、次いで森家の居城となり、明治廃藩後、城塞は惜しくも破壊され屋敷は民有地に払い下げられたが、現在では本丸門内は大名庭園がよみがえっている。
赤穂義士の自刃250年祭を記念に、昭和30年春、大手門、大手隅櫓と城壁の一部が復旧され、同46年3月赤穂城跡は国の史跡に指定された。以後、本丸の整備等が進められている。
<現地案内板より>
赤穂城
二之丸水手門
〜ここから船で物資を運びこんだ〜
本丸堀
本丸厩口門(うまやぐちもん)
〜平成8年再建。浅野家時代には「厩口門」、森家時代には
「台所門」と呼ばれていた〜
本丸全貌
〜本丸内には昭和3年から昭和56年の間、県立赤穂高校の校舎が建っていた〜
天守台
天守台
天守台
大手隅櫓(内側より)
大手隅櫓(昭和30年再建)
三之丸にある片岡源五右衛門宅跡
本丸南側にある刎橋門(はねばしもん)跡
本丸門(櫓門)
本丸御殿跡
大手門
大手門(昭和30年再建)